詳 細

 
古田織部正重然
1544~1615
71歳没

美濃国出生の大名であり、茶人として も利休門下の七哲の一人。

信長、秀吉に仕え、利休自刃のち茶道 の指導者になる。

 

侘び寂びを最も重んじ、静の茶の湯を求めた利休に代わり、その後の茶道指導 者と成った弟子の古田織部は、当時の時代背景から武家社会に向く茶道が要求 された為、利休の茶道から一転して動きのある「動」の茶道を選ぶ事に成りま した。

そこで、道具としての焼物にも大きな変革が起こったのです。

利休を師として大変尊敬していた古田織部は、利休の茶道精神を損なう事無く それに上乗せし、巾を広げたものと解釈して居ます。 侘びの心を残しつつ、其の上に派手、雅、動、色彩を積極的に取り入れて、モ ノクロで二次元的な世界感から、カラー三次元で立体的な世界感のものにした のです。

そこには、一定の織部好み様式美が有り、その様式こそが正に焼き物で言う織 部と言う事なのです。 その様式には桃山文化の全てが反映されています。 既存の美の上に辻が花染、南蛮文化、キリシタン文化、高台寺蒔絵、ギヤマン など当時の京(みやこ)の絢爛隆盛を巧に取り込んだ意匠と成って居るのです。

轆轤は一軸とは到底思えない程の上下左右への自在な変化、文様色彩は陰陽、 明暗、濃淡、抽象具象、逆写実、東洋西洋、多色など全てが立体的な空間を求 めたものと成っています。

当時としては、侘びを重んじた茶の湯の道具と比べ、はるかに斬新で自由に見 えた事かと思いますが、それには、利休の侘びの美に対しての美であり、計り 知れない奥の深いもので、それを思考する事が織部の茶道であり、人間道と思 います。 今日、自由奔放こそが織部の精神と解釈して、古田織部の好みの意匠とは関係 なく、それぞれの作者が自由奔放に自己の作風で造った物を、オリベと称して 居られますが、桃山陶で言う本来の織部とは次元を異にしたオリベです。

また織部には多くの場合、銅緑釉が使われているので、今日、窯業界では一般 的にこの種の緑釉を織部釉と呼んでいて、その釉薬を塗った物を全てオリベと も言っていますので、立場、解釈などに依って色々の(オリベ)が混在して居 ます。

 

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